書道コラム 真実の芸術
最近ニュースになっている自動車の燃費不正問題。昨年のマンション杭打ち偽装問題。粉飾行為。すり替え・・・・・・。不正や知られたくない事を隠す、ということが当たり前の世の中になってきている気がします。
利益をあげるため、体裁を保つため、面倒、無気力・・・。どのような理由があるにせよ顧客の気持ちを考えれば真実を知らせたうえでの購入を検討させるべきだったと思うのです。
「書道は嘘、偽りの無い真実の芸術」と創立者は言っておりました。
わかりやすい部分で言えば「二度書き」です。ぶっつけ本番で書かれたものは修正ができないので、本来の自分の性格・技術といったものが紙に反映されてきます。これをもう一度上から書き直すということは、本来の自分を隠して良く見せようとする、一種の粉飾行為に当たります。これを子供のうちから指導して粉飾させないようにするのも指導者の役割です。
粉飾する事、良く見せようと誤魔化すこと、これを子供のうちから常態化させてはなりません。
また、もう一つ意見を言わせていただきますと、企業が粉飾せざるを得なかった理由の一つとして、世の中の「厳し過ぎる目」があったと思うのです。
ほんの些細な事、順序立てて解決すれば問題にならなかったようなものまでメディアや週刊誌が袋叩きのようにバッシングしているのを見受けます。最近ですとツイッターやSNSなどで個人の発言が簡単に世の中に発信できてしまうので、その声に敏感になりすぎているような気もします。
今年に入り文化庁が漢字の「許容範囲」について指針を出し、許容の範囲が大幅に広がりました。許容範囲とは、手書き文字と活字は違うものだと認識し、手書きで書かれた文字にはある程度様々な形があってよいというものです。
ようやくといった感じですが、今までは許容の範囲が狭く、漢字は一画の違いも無く正確に書き取ることが正解だ。という「厳し過ぎる目」がありました。この指針が出たことで、合っているのに「間違い」「不正解」とされてきたものが、今後正しいものとして認識されるようになるのです。
出過ぎたことは厳しく注意すべきだと思いますが過度な厳しさは、失敗を一切認めない、許さないといった社会を肯定しているような気がしてとても窮屈に感じます。
粉飾や誤魔化すことをさせない。少しの違いぐらいで×をつけるような厳しさを無くし、ある程度許容する。認めてあげる。
書の教育において、世の中に働きかけ貢献できることはまだまだあるはずです。